第3回ダイジェスト

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2016.06.10

KEYWORD

text:南後由和

  • 既存のものを疑い、書き替える「ハック」。
  • そのままでは結びつかないものを、結びつけて考える。
  • 見えないレイヤーを見せる。
  • 人の心も、マテリアルも、音も、光も扱う。人の気持ちに触れる、温度を持つ人肌のテクノロジー。
  • 建築+αの非分野主義。
  • 異なるものを「重ねる」ことによって、新しい価値を生み出す。
  • ロジックを組み立て、文脈をつくる。
  • キロメーターからデジベルからルクスまで、さまざまなスケールを扱う。
  • 異質なもの同士を結びつけるプロトコルの複数性。
  • 千里のことも一歩のことも同時に見る、ミクロとマクロの行き来。

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GUEST PROFILE

齋藤 精一
Seiichi Saito

1975年神奈川生まれ。建築デザインをコロンビア大学建築学科(MSAAD)で学び、2000年からNYで活動を開始。その後ArnellGroupにてクリエティブとして活動し、2003年の越後妻有トリエンナーレでアーティストに選出されたのをきっかけに帰国。その後フリーランスのクリエイティブとして活躍後、2006年にライゾマティクスを設立。建築で培ったロジカルな思考を基に、アート・コマーシャルの領域で立体・インタラクティブの作品を多数作り続けている。2009年-2014年国内外の広告賞にて多数受賞。現在、株式会社ライゾマティクス代表取締役、東京理科大学理工学部建築学科非常勤講師、京都精華大学デザイン学科非常勤講師。2013年D&AD Digital Design部門審査員、2014年カンヌ国際広告賞Branded Content and Entertainment部門審査員。2015年ミラノエキスポ日本館シアターコンテンツディレクター、六本木アートナイト2015にてメディアアートディレクター。グッドデザイン賞2015審査員。

TALK

建築の人だけではなく、デサインをやっている人によく言うのは、「ハック(hack)」という思想です。いわゆるデータのセキュリティに侵入するとかではなく、「疑ってかかる」ことです。建築に何か+αを持った視点で、「ハック」してモノを見ることこそ、新しい表現や、時代に合った即時性を持つ建築表現につながる。
今や、見えないものが見せられる時代になったんじゃないかと思います。存在しないものを絵で描いてあげると、世の中が少しずつそっちに動いてくれる現象が起こるんです。
人の心も扱うし、マテリアルも扱うし、音も扱うし、光も扱う。ひとつのものに特化したプロフェッショナルになるよりも、いくつかの分野に渡っているプロフェッショナルの方が、今後いろんな仕事ができるようになる。
「ハック」は、クリエイトでもなく、ジェネレイトでもない。ものづくりやデザインのスタンスとして、きわめて面白い。
70年代のスーパースタジオやアーキズームなどのラディカル・アーキテクチュアの時代は、モダニズム建築を解体・拡張していき、「すべてが建築だ」って言い切った世代です。これらの世代と比較してみると、齋藤さんの立ち位置が面白いのは、デジタルや情報空間を重ねることによる様々な作品を建築とは言わず、あくまで「建築+α」と捉えていることです。
僕はテクノロジーも温度を持つべきだと思っています。人肌のテクノロジーを体現したくて、“Warm Tech”っていう話をよくします。
齋藤さんが作られているものは、テクノロジーを媒介として、集団的熱狂を生むものである一方で、ゼロ年代以降の「おひとりさま」ブームのような個人のあり方や快楽を否定していない。
街がもう一回リニューアルする、もしくは街がもう一個新しい魅力を見つける。今がその機会で、「建築+α」の「+α」が、もしかすると「建築+テクノロジー」となって明日にでも実現できるかもしれない。
アーキグラムが「拡げる」っていうアプローチであったのに対して、齋藤さんは「重ねる」。この根底にある創作論の違いがとても面白い。
「重ねる」ということ自体、人中心に場所とかを見過ぎているから重ねていくんじゃないかという気がしました。一方の建築家は、どこか神の視点を持っている。
プロトコルを作れるからこそ仲介人の役割が生まれる。そうすると、アカデミックとエンターテイメントのみならず、合うことのなかったものが混ざって、とんでもない化学反応が起こる可能性が高い。
分野と分野をつないだり、異分野横断をしたりする人々には、それぞれの具体例にもとづく実践知はあるけれど、大学などの制度の文脈に置き換えてみると、それらが一般化されて、継承可能なものになるにはどうしていくべきか、です。
「非分野主義」と即時性はもしかしたらすごく近しいところにある考えかもしれない。
自分の専門性としての軸をより深化させるということもやりつつ、でも同じ場所へ回帰するだけでもなく、前や外に踏み出していく。
僕が一番尊敬できる人は、ミクロとマクロの行き来が自由にスピードを変えてできる人です。「千里の道も一歩から」と言うじゃないですか。ミクロとマクロの行き来を自由にするのは何かと言えば、たくさんの知識と、人とのコミュニケーション能力です。
建築の固有性が、「重ね合わせ」によって生じるということです。言葉や概念と、実際の利用や体験や運営の狭間で考える必要がある。
ライゾマは「コレクティブ」だとよく言うんですが、要はレコード・レーベルみたいなものです。いろんなスキルを持っている人がいて、そのなかから、必要なときに必要な人員を集めて、プロジェクトを進めます。
形態とか色彩に建築家らしさが表れる時代があった一方で、今の建築に物足りなさを持っている人達も少なからずいます。その状況を建築家はどう突き抜けていくのかが、まさに今日的な課題です。
人がどう滞留して、そこに経済や文化がどう生まれるか、これまで建築家が決めていた領域を、社会が建築家に頼らなくなったんです。
ミスマッチをそのまま肯定するだけではなくて、次のフェーズとして統合のモメントを重視されている。その点が、バーナード・チュミの時代と違うなと思います。
「重ねる」というスタンスはすごく面白いと感じました。もちろん、僕は情報の専門家ではないから同じようなことできない。けれど、違うものをそこに重ねるというスタンスは、なにか次の時代を作れる可能性がある。
楽していられる時代は終わったんですよね。それよりも、最終的にもっと人の気持ちに触れる、もしくは温度で感じられることとして、まちづくりとか施設の構想とかを始めています。
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