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第3回

情報へ

2016.06.10

KEYWORD

text:南後由和

  • 既存のものを疑い、書き替える「ハック」。
  • そのままでは結びつかないものを、結びつけて考える。
  • 見えないレイヤーを見せる。
  • 人の心も、マテリアルも、音も、光も扱う。人の気持ちに触れる、温度を持つ人肌のテクノロジー。
  • 建築+αの非分野主義。
  • 異なるものを「重ねる」ことによって、新しい価値を生み出す。
  • ロジックを組み立て、文脈をつくる。
  • キロメーターからデジベルからルクスまで、さまざまなスケールを扱う。
  • 異質なもの同士を結びつけるプロトコルの複数性。
  • 千里のことも一歩のことも同時に見る、ミクロとマクロの行き来。

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GUEST PROFILE

齋藤 精一
Seiichi Saito

1975年神奈川生まれ。建築デザインをコロンビア大学建築学科(MSAAD)で学び、2000年からNYで活動を開始。その後ArnellGroupにてクリエティブとして活動し、2003年の越後妻有トリエンナーレでアーティストに選出されたのをきっかけに帰国。その後フリーランスのクリエイティブとして活躍後、2006年にライゾマティクスを設立。建築で培ったロジカルな思考を基に、アート・コマーシャルの領域で立体・インタラクティブの作品を多数作り続けている。2009年-2014年国内外の広告賞にて多数受賞。現在、株式会社ライゾマティクス代表取締役、東京理科大学理工学部建築学科非常勤講師、京都精華大学デザイン学科非常勤講師。2013年D&AD Digital Design部門審査員、2014年カンヌ国際広告賞Branded Content and Entertainment部門審査員。2015年ミラノエキスポ日本館シアターコンテンツディレクター、六本木アートナイト2015にてメディアアートディレクター。グッドデザイン賞2015審査員。

南後 「ken-tic 建築的思考から」第三回「情報へ」を始めます。今日のゲストである齋藤さんは、ライゾマティクス(Rhizomatiks)の代表をされており、ニューヨークのコロンビア大学で建築を学ばれた後、広告、メディアアートなど、多分野で活躍されています。

齋藤 齋藤です。よろしくお願いします。僕は、東京理科大工学部建築学科を卒業後、コロンビア大学のMSAAD(ADVANCED ARCHITECTURAL DESIGN)で学びました。その後、同大学でティーチングアシスタントをしながら、建築学科のギャラリー展示を手伝ったり、設計事務所で一年くらい仕事をしたりして、広告代理店に入りました。Arnell Groupではクリエティブとして活動し、第一回の2003年の越後妻有トリエンナーレに参加しまして、3年後の2006年に、ライゾマティクスを立ち上げました。
 建築を卒業されてから他の分野で活躍されている人は本当に多いと思います。ですから、建築学科の人に「こういう建築的思考の使い方もあるんだぞ!」という勇気を与えられたらと思っています。それ以外にも、例えばメディアデザイナーといった工学系の研究開発をしている人たちにとっての建築的思考についてもお話したいと思います。建築でもBIMとかCIMと言われるシミュレーションが一般的になってきましたし、これまで建築とは別の分野にあると思われていたメディアデサインや工学系その他のことがすごく建築に近くなってきていると思います。

PRESENTATION

齋藤 精一

Seiichi Saito

コロンビア大学で学んだ建築的思考と挫折

 今日お話するのは、僕がどういう風に建築を捉えているのか、ということです。僕がコロンビア大学の時に非常に共感した言葉が、リゾーム(Rhizome)でした。これはドゥルーズとガタリが書いた『千のプラトー』に出てくる言葉です。この言葉には色々な意味がありますが、僕の考えでは、木の「根っこ」なんです。光を浴びる幹ではなく、もっと根っこの部分のことで、その根っこがどんどん派生して、芋づる式になっている。本当はその根っこの中に本質があるのかもしれないと考えているんです。ですから、いざ会社を作る時に、このリゾームっていう言葉をもとにして「ライゾマティクス」という名前を考えました。
 僕が学生の頃に共感した作品は、例えば、バーナード・チュミのラ・ヴィレット公園です。ラ・ヴィレット公園には赤いフォリーが点在していて、脱構築主義の思想を持っています。当時、そのバーナード・チュミがコロンビア大学の学科長でした。あと、アーキグラムにも共感しました。彼らはイギリスの建築家集団で、実物を建てるというよりも思想的な話をします。けれど、すごく夢があって、しかも提示するグラフィックがすごくかっこいい。僕は、アーキグラムの「ウォーキングシティ」みたいに都市自体が歩くっていう夢みたいな絵とかグラフィック、思想に触れて、「建築って建物を建てるだけではなくて、思想を発信できるんだ」と非常に感動しました。
 そういう人々から影響を受け、一回建築を学ぼうと思ってコロンビア大学の建築学科に進みました。コロンビア大学は、当時アルゴリズム建築と言われるコンビューターを使った建築表現を追求していたので、変形学というのも学びました。変形学とは、モノがどういう形になりたいかを対話するものです。建物がもしも生きて動いていると、どういう行動するか、どういうスケールになるかなどを考えながら、コンピューターでシミュレーションしていました。
 このイメージのコンセプトは、ドッペルゲンガー(doppelganger)という人間の二面性です。二人の異なる人格が、実は一人だというものです。デヴィッド・リンチ監督の『ロスト・ハイウェイ』を分析しながら、人間の二面性、ストーリーとは何かという問いをたてて作りました。これは建物ではなく、アイデアをくれるエンジンみたいなものです。ここからラインとか、変形のプロセスを汲み取って、建築に戻して行くんです。
 けれど、ここで僕が一番挫折したことがありました。こういうものから様々なことを発見すると、僕の思考回路の中には無かったものもたくさん出てきます。それを建築にしようとすると、話が一気にリアルになり過ぎて、ちょっと興醒めしてしまったんです。僕はちょっと建築には向いてないかなと思い始め、もう少し自由な、スケールのない表現に向かっていきました。
 面白いことに、コロンビアの建築学科から卒業した人は、半分は建築以外の道に進みます。プログラミングの技術を駆使してCGの会社に行くとか、自分でウェブサイト製作の会社を作るとか。そういった別分野で成功したひとりとしては、映画『トロン・レガシー』の監督、ジョセフ・コシンスキーです。僕はコロンビアで学ぶなかで、建築学科で学ぶ人は算数と国語の両方を使える人であることを知りました。そんなふうに、どういう分野でも適合できる人が多いのかもしれません。

ライゾマティクスの「アーキテクチャー」

 建築は、アイデアが生まれてから時間をかけてスダディをして、実際に建てる段階になると、確認申請とか、法律とか、コストとか様々なことを検討しなければなりません。僕は、この長いプロセスが苦手で、もう少し時間のかからない表現をやりたいと思い始めました。その後、2003年の越後妻有トリエンナーレの出品作品として、北川フラムさんに選んでもらいました。この作品は、国道17号線に光る風船の中に電球とヘリウムを入れたものを三千個ぐらい置いて、精霊流しみたいにしたものです。ここからアートの分野に入っていきました。しかし、ご存知のとおりアートはなかなかお金が稼げません。当時、僕はずっとランドスケープアートを頑張っていて、パートナーの眞鍋は元々理科大の数学学科でプログラミングを用いて何かを表現したいという人物でした。音楽も作っていたし、空間と組み合わせて何か作ろうとしていたけれど、みるみるうちに貯金がなくなったしまった。それで2006年にライゾマティクスを作りました。アート的な表現とお金を稼ぐことを両方一緒にやっちゃおうっていう思考で始めたもので、それがライゾマティクスのビジネスモデルです。
 建築の人だけではなく、デサインをやっている人によく言うのは、「ハック(hack)」という思想です。いわゆるデータのセキュリティに侵入するとかではなく、「疑ってかかる」ことです。建築のプロジェクトでも、「なぜ基本設計ではこうなったのだろうか?」とか、「設計プロセスに違うアイデアを持っている人を入れた方がいいんじゃないか?」とか。つまり、作る過程もモノもどんどん疑っていった方がいいと考えています。
 もうひとつには、そのままでは結びつかないものを結びつけて考えること。たとえば、いわゆる人を楽しませる「エンターテイメント」と、それとは遠くにある「アカデミック」というものを結び付けてみる。最近面白かったのは、青いレーザーを当てると発光する液体が開発されたのを知り、衣装に塗り込むことを考えついて、ファッションブランドのアンリアレイジの2015年春夏のパリコレで洋服にレーザーを当てて新しいものを作ることにつながりました。つまり、今まで業界に入ってこなかった素材や考え方を、僕らが間に入ることでつなげていければと考えています。
 ところで、ライゾマティクスはこれまで部門を分けていなくて、Perfumeとか、きゃりーぱみゅぱみゅのCMとか、アイルトン・セナのフィルムとかバラバラなものが全部できる集団みたいに思わる節がありました。良い意味でも悪い意味でもブラックボックス過ぎてしまって……。僕は「魔法使い枠」って呼んでいるんですけど(笑)。そのイメージを持たれることは良いことだとも思っていますが、実際はすごく泥くさい製作をやっているわけです。それで、最近になって「リサーチ」「デサイン」「アーキテクチャー」の部門を作りました。
 リサーチチームは、まだ潮流に乗っていない新しいテクノロジーとかを駆使して、実験的な試みを絶えずやっていくことが仕事です。たとえば、音楽で筋肉を操ってみようだとか、人の顔にプロジェクションするとか、口を光らせてみようだとか、株式をビジュアライズしてみようとか。2015年のSXSWというあらゆるものの見本市のようなイベントでは、何個ものカメラでリアルタイムの映像を撮って、その1カメから2カメに映像がトランジションするときの間をすべてCGで補完することで、もう少し奥の、見えない空間のレイヤーを与えてみることをやってみました。最近VRという仮想空間がよく使われるようになっていますよね。それと実空間の違いって何だろうと、よく考えています。サイバーパンクみたいに、今見えているものが本当は見えないものではないかと疑う世界観を、現代の技術を用いてやってみています。
 これは、自動運転の『will』というオイルチェアを使って、10人が同時に閲覧できるインスタレーションです。全員VRを付けていて、さらにリアルタイムでカメラも付いているので、実在の映像の中にどんどんCGが重なってきます。最終的には何が何だかよく分からなくなる。リアルな物体の上にばっちりとCGを重ねていくので、本物なのか偽物なのかよく分からなくなっていく。これも、同じ発想から作ったものです。
 こういう仕事をやっているとき、僕はついバーナード・チュミの「イベントシティ」という考え方を思い出します。それは、本来動かない建築が、ほぼリアルタイムで見えるようになったらどうなるかという考え方でした。今や、見えないものが見せられる時代になったんじゃないかと思います。

仮想が現実の解像度を上げる

 スポーツの分野でも、見えないレイヤーを見せることに関する試みをしてきました。この映像は、オリンピックの招致の時に、テレビ放送はどうなるべきかという観点からつくったものです。バーチャルという技術は時間さえ操作することができます。すると、たとえば、フェンシングを傍から見ていても、速すぎて何をやっているのか分からない。それをモーショングラフィックスで表現すると、軌道も見えるし、人の動き、心拍数、荷重のかかり方なども表現することができます。それから、国立競技場を取り壊す直前に開催された『さよなら国立』というイベントでは、最後の15分に、これまで国立競技場の中を走ったカール・ルイスや記録を出したアスリートを、データを使って降臨させる試みをしました。でも、昔のデータはほとんどないに等しいので、色々なところと協力してもう一回キャプチャし直して、映像と重ねあげながら表現しました。
 当時考えていたのは、実空間のレイヤーに対して、見えていないレイヤーを、コンピューターを駆使して見えるようにできないだろうかということです。たとえば、電磁波が見えたとしたら、ものすごく綺麗かもしれない。アーキテクチャーというよりは、いろんなテクノロジーを使って読み解いていくみたいなことかもしれません。これは、1989年のアイルトン・セナの鈴鹿サーキットのデータをHONDAが残していて、それを用いて、光と音だけで、もう一度セナをこの場所に降臨させようとした広告作品です。本当にセナの走った速度と同じ速さで見えていますし、音圧もスピーカーだけで170機入れて当時の状態を完全に再現しました。
 これらはアーキテクチャー部門を作る前の作品で、無理矢理アーキテクチャーの枠に入れて説明しているまでで、これからのライゾマのアーキテクチャーになるかはわかりません。けれど、事務所では、メディア表現で空間表現も変わるということをちゃんと打ち出したいと話していました。
 これはKDDIのCMでやった「フルコントロールシティ」です。「都市がハックできたら?」というコンセプトで、スマホを使って街灯や街の噴水がハックできたらどうなるかとかをシミュレーションしました。現代はほとんどのものがコンピューターで制御されているので、道徳的な問題や、法律的な問題をなしにすれば、これらのことはスマホを使えばすべて可能なんですね。
 ここで面白いフィードバックがありました。アーキグラムもそうですが、存在しないものを絵で描いてあげると、世の中が少しずつそっちに動いてくれる現象が起こるんです。驚いたことに、このプロジェクトで、「渋谷のスクランブル交差点にこんなに人を集めて撮影したら違法だ」と国土交通省から指摘されたんです。全部CGだと言いましたけどね(笑)。たしかに、一般道路では道路制限とか景観とか安全性の問題とかあります。でも、このイメージを見せた結果、2020年のオリンピックの時は、渋谷の交差点はこういうあるべきだよねと、だんだん正論になっていったんです。

建築的思考が持つ「非分野主義」の可能性

 僕が建築に求めていたものは、もしかしたら即時性なんじゃないかなと思います。それについてもう一度考える契機となったのが、2013年に開催した「建築家にならなかった建築家たち」という展覧会です。このとき、僕は悩んでいたんです。広告は大量消費の流れに乗っているので、作ったものはどんどん消えていく。昔、ゼネコンのCMで「地図に残る仕事」というキャッチコピーがありましたが、学生の頃に建築にすごく魅力を感じたのは、建物を建てるとそこに何か残ることでした。建築には人の思い出や出会いがあるけれど、広告はそういったことがほとんどない。それで、僕の原点は何だろうと考えて、建築学科を出たのに建築をやってない人を集めて、展覧会をやりました。そこに参加してくれたなかにも、建築に即時性がないからやめてしまった人や、テクノロジーの進化に惹かれてやめたという人がいました。ただ、BIMとかCIMの話もそうですが、最近では建築のテクノロジーがひとつになり始めていて、工期もものすごく短縮されています。つまり、建築というのは大きく変わっている。だからこそ、僕は建築に非常に興味をもっています。
 それから、僕がすごい共感している言葉のひとつに、「非分野主義」があります。これは、MITメディアラボ所長の伊藤穣一さんが、ラボの考え方として掲げたものです。建築っていろんなものを扱いますよね。人の心も扱うし、マテリアルも扱うし、音も扱うし、光も扱う。ひとつのものに特化したプロフェッショナルになるよりも、いくつかの分野に渡っているプロフェッショナルの方が、今後いろんな仕事ができるようになると思っています。そういう意味では、建築とは異なる仕事をしている人たちも、建築に携わることで、もっと建築が面白くなるはずです。
 MITのメディアラボがなぜ「非分野主義」を掲げるかと言えば、そういう考えを持った人たちが始めた学校だから。これからは、メディアと建築とか、あるいは自動車と生物とか、複数の分野に興味をもつ人たちが新しいものを作っていく時代なんです。すると、建築にプラスして何を学ぶのかが大事になってくる。一度建築を離れてみて気づいたことは、建築学科を出た人は論理の積み重ねが得意だということ。課題を与えられると、まずリサーチをして、必然性や敷地の条件を考え、建物の特色も考えて文脈を作り、最終的に形にしていく。AがBで、BがCなら、という論理。その思考は、実は他の学科ではなかなか学べないことです。でも、どこに行っても、その思考回路があれば活躍できると思います。
 いま建築学科で学び建築の仕事を目指している人、違うところを目指している人も、ちゃんと今のうちから建築的思考を身につけて、建築に何か+αを持った視点で、「ハック」してモノを見ることこそ、新しい表現や、時代に合った即時性を持つ建築表現につながると思います。

齋藤 精一のプレゼンテーションへ

TALK SESSION

建築を「拡張」するのではなく、建築に「+」していくこと

川添 建築家は、建物を作るのが仕事だと思いこんでいるところがあることに対し、齋藤さんはそこに限らずに、誰かの気持ちに届く仕事をしている。オフィスに伺ったときに「僕は不真面目ですから」とおっしゃっていましたが、不真面目とは、状況に応じて振る舞いは変わってもちゃんと相手を見ていることのメッセージではないか。「ハック」というテーマは、それを言い表していると思います。「ハック」は、クリエイトでもなく、ジェネレイトでもない。ものづくりやデザインのスタンスとして、きわめて面白いですね。
 話を振り返ると、つねに空間の話をされていますね。ショーのようなイベントであれ、大きな都市空間であれ、必ず実空間の話があって、そこに何かを加えていくとか、何かを起こすこととかが共通しているように見えます。それに、空間には「見えている空間」と「見えていない空間」の2種類がああって、その両方をやるんだということもずっとお話されていました。
 最後に「建築的思考は有意義だ」と仰っていましたが、齋藤さん自身のお仕事も同じような見方ができると思います。つまり、実空間に対し、そこを調べて、調査して、加えていくスタンス。それは、建築的な振る舞いを冷静にトレースされているのでしょう。そして、実空間の持っている時間の遅さ、時間の長さに対し、齋藤さんの加える情報の価値のひとつに即時的がある。けれど、時間の長い実空間と、短い即時性の情報空間を組み合わせることが、ライゾマティクスがやられているユニークさなのかなと思いました。

齋藤 今のお話を聞いて思い出したのが、『新建築』とか建築雑誌に載っている写真が人の写っていないものばかりで、それが気持ち悪かったんです。もちろん建築をやっている人たちも、人やそこで起きるイベントも好きだと思うんですが、僕が違うのは、それがないと、たぶん気持ち悪いと思うことかもしれない。その空間が使われている様子が美しいと思います。

川添 いわゆる、床と壁と天井を作るだけでは、何か足りないものがあるということを、ずっと思っていたんじゃないですか。広告に移ったことと今の問題意識は、何か共通しているんでしょうか?

齋藤 川添さんの感想を聞いていて、別分野へ進んだことは意識的に起こったのかもしれないと思いました。僕は、さっきの竣工写真の気持ち悪さもそうですが、建築はファインアートだと思っていたんです。建築をアートの文脈で捉えていたところがあって、ファサードも情報を発信しているべきだとか、ガリバーのトンネルみたいに、そこを通過するだけで何かを得たり気分が少し変わったりみたいなことを一生懸命考えていました。大学院に進むとき、環境系に行くのか、構造系に行くのかと考えていたら、ぞっとしたんですよね。どこにも属せないぞと。
それで、もっと自由な発想から建物をつくっていこうと。よくいる「建築はアートだ!」っていう学生でした。それで、法律とか重力とか、実際的なものを取っ払った状態で考えていこうとしたら、「あ!建築じゃ無理かも」と思ったんですね。
ちなみに、広告代理店に最初に入った時は建築をやっていました。ダイムラー・クライスラー・グループのモーターショーのブースとかね。数億かけてバーンと作って、一週間くらいで全部ゴミになるっていう。その早さで、アドレナリンをガンガン出して作っていく感じはすごく快感でした。それで、映像とか、今のデジタル系使った表現とかになったのかもしれません。

南後 「真面目に遊んでいるな」っていうのが、齋藤さんに対する印象です。「遊び」に関しては、ホイジンガやカイヨワをはじめ、様々な哲学者や思想家が論じてきましたが、「遊び」とは、制約と創発の狭間にあるものです。あるルールや制度というものがあって、それらがあるからこそ、逆説的に自由や創発が生まれる。
 そして、齋藤さんがキーワードとして出された「ハック」とは、既存の硬直化したルールや制度を書き替えていく行為である。ユーザーによる身体を駆使した介入やインタラクションなども、「遊び」を通じた「ハック」に繋がると思いました。
 「即時性」や「時間」に関して、建築は基本的に不動で動かないし、何十年、何百年も残り続ける。それに対して、建築にデジタル技術や情報空間を介在させると「即時性」が生まれる。この点について、齋藤さんの説明で、「建築+α」という話がありました。例えば、プレゼンテーションで言及されていた60年代のアーキグラム、70年代のスーパースタジオやアーキズームなどのラディカル・アーキテクチュアの時代は、モダニズム建築を解体・拡張していき、「すべてが建築だ」って言い切った世代です。これらの世代と比較してみると、齋藤さんの立ち位置が面白いのは、デジタルや情報空間を重ねることによる様々な作品を建築とは言わず、あくまで「建築+α」と捉えていることです。

齋藤 僕が求めているものに「即時性」はありますが、建築の良いところのひとつが「不動性」だと思っています。ただ、僕が見てみたいのは、その時々の状況や人によってどんどん変わっていく建物ってどんなだろうというところです。なので、「建築+α」と言います。
 これまで培われてきた建築の文化とか構法は変わらないし、変わるべきではないと思います。床・壁・天井とか、暖炉があってみたいな。それは、もうすでに人間工学とか、アフォーダンスとか、生理的にも、完成した体系となっている。だから、それを否定して次に行くというより、完成したものにプラスしたらこういうことができると。テクノロジーの進化なんてそういうものです。
 僕が考えるデジタルの良いところは、トライ&エラーのサイクルを早くしたことです。例えば、建築家の方々が80mのキャンチレバーを壊れるかわからないけど作ってみることはできないじゃないですか。人の命に関わることですし。それがテクノロジーを使うとシミュレーションができて、違う表現も見えてくる。そういうところに可能性を感じますし、興味があります。

楽しいことは、街でフィジカルに起きる

南後 ロンドンオリンピック2012の直前に元発電所で行った「NIKE FuelFest」では、インタラクティブに反応するリストバンドをつけた集団が熱狂して、その場や出来事、つまり空間と時間を共有するシーンが見られました。一方で「FULL CONTROL」では、スマートフォンを通して個人と都市が関係性を持つシーンも見られます。つまり、都市における集団的体験という指向と、個人対都市という一対一の体験という指向の両方があるように見受けられるのですが、どちらにプライオリティを置いているのでしょうか。あるいは、両方共存させるということが重要なのでしょうか。

齋藤 スマートフォンとかのテクノロジーを対個人で使う方法は、もうみんなわかったと思うんです。でも、「遊び」という視点でもう一回都市や街を見てみようと。たとえば、ここがトランポリンだったらめちゃめちゃおもしろいとか、普段あまり使われない階段がもし全部ピアノになっていたらみんな階段を使うようになるとかもあると思うんです。
最近はどこ行ってもプロジェクション・マッピングをやっていますよね。この事態は、みんながテクノロジーに一回振り切ったというか、「テクノロジーを使ってお祭りをしよう」という状況が当たり前になったんだと思います。
 けれど、人間ってそんな簡単には変わらないし、色んな人と一緒にいるからこそ面白い。もちろん、個の空間を好む人もいますけれど。でも、街もおもしろいし、そこで生まれてくる出逢いとか、恋だとか、もしくは問題とか、予想もしていなかった出来事とかは、人生の楽しさとしてありますよね。ですから、僕はどちらかというと集団をもっと繋げようと思って作るものが多いです。
 テクノロジーは、そもそも人とコミュニケーションしなくても完結するようなつくりのものなんです。でも、僕はテクノロジーも温度を持つべきだと思っています。人肌のテクノロジーを体現したくて、“Warm Tech”っていう話をよくします。建築でも同じで、コンクリートも人の温もりを持っている。僕は、人がもっと楽しく出会える、もしくはコミュニケーションをとれる、できるだけ同じ場所に集まるといったことをサポートするテクノロジーの使い方を考えています。それがバーチャルであれリアルであれ。

南後 とりわけ3.11以降は、「みんなの〇〇」という言い回しに代表されるような、常にみんなで一緒に何かやらなければならないという抑圧を感じることがあります。でも、齋藤さんが作られているものは、テクノロジーを媒介として、集団的熱狂を生むものである一方で、ゼロ年代以降の「おひとりさま」ブームのような個人のあり方や快楽を否定していない。個人によっても都市のあり方がインタラクティブに変容するし、みんなが集まるからこそ起こしうる何かを同時に成立可能にしている点がライゾマティクスの興味深いところだと思います。
 続けて、都市について話をしたいと思います。1960年代頃までは、建築家が都市を計画しようとする流れがあって、良くも悪くも都市のビジョンを描いていたわけですが、それから50年以上経って、建築家に限らず、都市のビジョンを描くことがますます難しくなっています。でも齋藤さんは、「Playable City」にしても、アートイベントにしても、最近は都市に関わるフェーズが増えてきていますよね。行政や企業との一連のお仕事を積み重ねていくことを通して、都市のビジョン、あるいは都市への関与の仕方について、どのように考えていますか?

齋藤 今って皆、「歩きスマホ」って言うじゃないですか。これって結局のところ、みんなスマートフォンの方が周りの現実よりも楽しいからやってるんですよ。でも、僕は、外の方がもっと楽しいことがたくさん起きていると思っています。だって、スマホの中じゃ彼女に出会えないし、恋もできない。だから、もっと外に行きたくなるようなことが、街の中でもっと多くならないかなと。
 僕は、楽しいことはやはり街に求めるべきだと思うんですね。安全・安心に関しては、日本は非常に巧妙に、よくデザインされたインフラがあります。なので、やっぱり今足りないのは、楽しさだと思う。たとえば子供を公園に連れていくと、花火するな、ボール遊びはダメだ、自転車に乗るなと禁止事項ばかり。統制がとれた社会だからこその不自由さというんでしょうか。それをそろそろ、アップデートする時期に来ている気がします。街がもう一回リニューアルする、もしくは街がもう一個新しい魅力を見つける。今がその機会で、「建築+α」の「+α」が、もしかすると「建築+テクノロジー」となって明日にでも実現できるかもしれないと考えています。

建築家に見る、ミクロに見る力とマクロに見る力

南後 近年は、まちづくりや、都市における様々なイベントにおいて、行政も広告代理店も、旧来型の建築家よりは、齋藤さんのようなメディア・アーティストたちの方に声を掛けることが多くなっています。この点についてどう思いますか。

川添 さきほども話に出た、アーキグラムの話が根深い問題としてあると思います。齋藤さんは、アーキグラムに見られる、ものだけでなくて構想を作るところが建築のとても重要な役割だと話していました。でも、実際には、齋藤さんとアーキグラムではスタンスが結構違うと思います。アーキグラムはそれこそ、「すべてが建築である」みたいに建築の領域そのものを拡げていくこに創作のモチベーションを置いていたけれど、齋藤さんは重ねていくというスタンスです。だから、「建築+α」という言葉がすごく的を射ている。アーキグラムが「拡げる」っていうアプローチであったのに対して、齋藤さんは「重ねる」。この根底にある創作論の違いがとても面白い。
 従来のように建築家とか都市計画家がまちづくりをやると、どこかで「拡げる」ためのロジックになっていた。僕たちもよく地域の方々と仕事をしますが、建築を作ることが目的なのかと思われたら信頼関係を作れないですし、でも職能としては、いわゆる建物を建てる人という自己定義から逃れられないのもあって、それはどこか自分のあり方とか職能を拡げようとするアーキグラム的なスタンスとも言えるわけです。
 でも、「重ねる」っていう方法論が最近増えているとも思います。先日、西村浩さんとお話ししたのですが、彼は、佐賀でまず芝生を作って、自分で買い上げたコンテナを1個置いて、土地も借りて、カフェを運営して、それをまた地域の価値に変えていくと。建築の領域をいくら拡げたってカフェのオーナーにはならないわけで、彼はまったく違うものを重ねていっているんですよね。つまり、ある場所に入るときに、いくら自分の職能を拡げたところで、それは小さいところでは拡がるかもしれないけれど本質的な解決にはならないと、みんなが気付き始めているのです。
 そうすると、「+」という概念は、何か違うものを重ねていくことで逆に新しい価値を作る方法論になるわけでとても面白い。アーキグラムのように構想を作る大きなビジョンは共通している一方で、この「拡げる」と「重ねる」という異なる方法論は50年を超えた現代だからこそ、強度を持ちえていると思います。

南後 デジタルと建築、あるいは情報空間と物理空間の関係も、「重ねる」ですよね。では、情報空間と物理空間の重なりについて考えるとき、「建築的思考」がどのように関連してくるのか。建築出身で「重ねる」ということ、あるいは情報空間と物理空間の重なりについて取り組んでおられる、齋藤さんの強みとして考えられることはどんなことでしょうか。

齋藤 建築学科を卒業する人は、モノをマクロに見る人とミクロに見る人の2種類に分けられる気がします。マクロに見られる人は、いわゆる設計ができる建築家に向いている。ミクロに見られている人間は、大工の棟梁になった方がいい人たちで、それが使われているときの価値というか、彼らは人が好きなんじゃないかと思います。
 すると「重ねる」ということ自体、人中心に場所とかを見過ぎているから重ねていくんじゃないかという気がしました。一方の建築家は、どこか神の視点を持っている。
 たぶんライゾマのスタッフたちもみんな人が好きで、人をどうエンターテインしたいかに集中していて、そこは人の問題というか、各人の好みです。僕も人がすごく好きで、でもやっぱり建築のスキルを持っているからこそできたなと思うことがあります。思想レベルでいうと、他の業界の方よりマクロで見る力がある。なので、ここはこうなるのであったら、じゃあこっちはどうなるとか。こういう階段を作ると、ここの人たちはどう困るんだろうとか。そして、実務レベルでいうと、建築系出身の人たちは口が達者なので説明ができる。建築家なりの話し方とか、説得能力は高いですよね。ロジックで組んでいくので、AがBになったらBがCになって、CがDになるから素晴らしいでしょって文脈を作る力もある。それから、キロメーターからデシベルからルクスからいろんなスケールを扱えるのが建築の良さですよね。
 昔、ローテックっていう建築家がいて、彼らは“指輪から飛行機まで”という言葉を使っていたんです。建築の人が「指輪のデザインもできます」と言うと、「できそう」って思ってもらえるけれど、指輪のデザインをしている人が「建築デザインできます」と言っても「絶対無理だな」って思われる。そういうところでも、建築の方は広い視野を持っていると思います。

南後 ロジックの組み立てや説得能力の話に関して、もうひとつお聞きしたいことがあります。齋藤さんは肩書に「クリエイティブ・ディレクター」と書かれているし、例えば「六本木アートナイト」や「MEDIA AMBITION TOKYO」などのアートイベントの取りまとめもされています。画家、彫刻家、ミュージシャンなど様々なジャンルの人々の取りまとめを実際に経験されている中で、それら多様なジャンルの人々を束ね、ディレクションしていくことに関する建築出身の人達の適性や建築的思考についてどのように考えていますか。

齋藤 建築出身の人は合意形成を生み出すことが上手だと思います。僕は実際に銀座のとある開発を請け負っていて、その開発に強く反対している人を最終的に説得したのは建築家の谷口吉生さんだった。21_21デザインサイトを建てる時に、もともと建ててはいけなかった敷地に建ててよいことにしたのは安藤忠雄さんです。世の中をきれいに見ようとしたら、そういう役割も必要だと思います。それもまた、建築の人たちのあるべき姿ではないか。もちろん、建築は政治のエンジンの中にも、そして経済のエンジンの中にも、倫理のエンジンの中にも含まれているものですけど、どこかでふと離れて考えられる。それがマクロな力だと思います。
 ところで、一方で僕がずっと憧れているのは岡本太郎さんです。「太陽の塔」を作れる人は今の時代にいない。あれだけの構造物を、しかも丹下さんの建物に穴を開けさせてまで(笑)。アートというのは、もしかしたら建築よりも概念がひとつ上のもので、合理主義とか経済とかっていうものから逸脱しているからこそできるものなのかなと思います。

仕事の「非分野主義」と、学問の異分野横断

南後 僕自身は社会学から建築論に入っていっていき、アンリ・ルフェーヴルやシチュアシオニストを経由して、チュミのことを知るようになったんですが、チュミは「状況の構築」などの手法を試みたシチュアシオニストに影響を受けて、「イベントシティ」やラ・ヴィレット公園のプロジェクトなどを展開しました。
 今回、チュミの『建築と断絶』を改めて読み直してみました。この本の中で、チュミは建築家の役割を3つに区分して説明しています。1つ目は、社会の政治・経済的機構のイメージを建物に翻訳し、形を与える役割。2つ目は、批評家や評論家として機能し、文章などの理論的活動を通じて、社会の矛盾と方向性を明らかにする役割。3つ目は、都市や建築やメディアのメカニズムを理解し、別の切り口を構築する役割です。チュミ自身は、一番目ではなくて二番目と三番目の間に立ち、これからとるべき政治的行為として、「象徴的行動」と「反デザイン」を挙げました。「象徴的行動」とは、バリケードやシェルターなどでゲリラ的に都市に介入し、一時的に占拠することで、資本主義の体制の脱臼を試みるものです。「反デザイン」とは、主にグラフィック表現によるアンビルドのプロジェクトで、既存の都市計画が持つ排除や抑圧に対する糾弾です。これらを踏まえて、チュミが提起していた問いは、「デザインを条件づける」のではなく、「条件をデザインする」ためにはどうすべきかという問いです。
 齋藤さんは、今はアーティストでもなくデザイナーでもなくて、「クリエイティブ・ディレクター」と名乗られているわけですが、ディレクターとして振る舞うことによって、「一体何をデザインしているのか」、あるいは「どういう条件や状況をデザインしようとしているのか」ということをお聞きしてみたいです。建築物や作品や絵であれば、デザインの対象が同定しやすいですが、齋藤さんにとっては何がデザインの対象なのでしょうか。

齋藤 僕も正直、今の仕事でお金をもらえていることが奇跡だと思うことはあります。というのも、僕は基本的に自分が見たいものばかりを作っているから。こうあったら絶対いいなと思うもの。みんなも驚くもの。便利で感動するもの。世界がちょっとでも良くなると信じたものを作る仕事をしています。
 僕は、30歳までに自分の興味のあることで一回でもいいからお金を稼ごうと思っていました。それで、30歳のときにそれまでの仕事すべてを一回テーブルの上に並べて「これだけの武器がある。この先何をやっていったらいいのだろう」と一年間考えました。それが最終的にライゾマティクスになったわけです。
 僕はそれまで器用貧乏でやっていたのですが、それが良かったこともあって。見たいものを一番見たいかたちで表現するために、物理的空間でも映像でも音でも、もしくは言葉でも、なんでも扱います。自分のことを「アーティストだった」と言ったということは、今はアーティストではない。ではデザイナーなのかと言われるとそうでもない。要は、自分勝手に作りたいものを、メディアを問わずどんどん作っているおじさんですね(笑)。いろんなことを紆余曲折やってきたおじさんというのが、今一番近いのかもしれない。

南後 そのスタンスを言い表した「非分野主義」という言葉に関して、このken-ticのテーマのひとつに、専門性と学際性の関係、異分野越境ということをどう考えるのかがあります。
 僕たち70年代生まれは、学際とか異分野越境が大学院の頃から制度化された教育機関で学んだ人たちが増えてきた世代です。ですから、2つか3つの専門分野をマルチにやっていく人たちがこの世代には多い。「ハック」の話に関していえば、本来、前提条件を疑い、そもそも論を論じるのは、僕たち社会学が得意とすることです。
 そこで、異分野を横断して活躍する人達や、色々な利害関係者の間に立ってディレクションができる人達の行為や資質に専門性と呼べるものがあるかどうかを考えたいと思っています。
個々の実践においては、各自にスキルやノウハウが蓄積されていくけれども、大学のような場で継承可能なものとして一般化できるのかどうか。

齋藤 先ほども言ったとおり、建築家には合意形成能力というものがある。いろんな単位で、いろんなものを扱うことができます。最近レクチャー毎回言うのが「今の時代に大切なのはプロトコルだ」ということです。何かというと、僕とあなたを結ぶために同じフォーマットのジャックを持とうということなんです。つまり、みんな会話できる状態にしておきましょうというのが、世の中が円滑であり良いものを作るための条件だと考えています。建築家は、ケーブルでいえば、比較的にいろんな差込口を持っている人たちです。映像も、HDMIも、電源も、音も差せるといったようなことです。
 一般的に、中間に入る人はプロトコルをたくさん持ってないとできません。前々回のワールドカップのときにナイキのCMをやって、選手の銅像にツイッターから集めた応援メッセージを刻んだんです。それを彫れるロボットは川崎重工のものでした。最初に相談しに行ったときは、工場で使われている大型のロボットだし興味はないと門前払いされました。それでもナイキと僕たちは諦められなくて、工場に三回くらい行きました。そうしたらそこで働く職人さんたちと飲みに行くことになって、そのときにあれこれ思いを語りました。すると、次に行ったときには川崎重工のチーム全員がナイキの靴を買って、履いてくれていたんです。彼らは、広告というプロトコルを持っていなかった。そこに、とにかくかっこよく動いてもらいたいとか、まったく違う感性で僕らが話をしに行った。それをつなげていくとアイデアが出てくる。
 プロトコルを作れるからこそ仲介人の役割が生まれる。そうすると、アカデミックとエンターテイメントのみならず、合うことのなかったものが混ざって、とんでもない化学反応が起こる可能性が高い。僕はそこが快感でならない、というか、そこでしか新しいものが出てこないような気がします。

川添 東京大学では情報学環という学科がいろんな分野の人が集まってできたところです。数年経つと、いわば専門を横断すること自体が専門というような人が出てきた。南後さんは分野横断の申し子みたいな人ですよね。英語でいうとAnti-disciplinaryでしょうか。一方でInter-disciplinaryという言葉もあります。齋藤さんの考える「非分野主義」はプロトコルをたくさん作ることで、そこに寄与するテクノロジーという定義だと思います。そこで、Inter-disciplinaryという言葉に代表される分野横断の在り方と、分野と分野をつなぐ在り方というのは、同じなのか違うのか。

南後 大学における分野横断になると、時間軸が違ってくると思います。齋藤さんが例に出されたミーティングのような場では、即興的にプロトコルを調整、共有することで新たなアイデアが生まれることもある。僕が先ほど言及しかけたことは、分野と分野をつないだり、異分野横断をしたりする人々には、それぞれの具体例にもとづく実践知はあるけれど、大学などの制度の文脈に置き換えてみると、それらが一般化されて、継承可能なものになるにはどうしていくべきか、です。
 大学の学問の場合、あるディシプリンが、例えば社会学なら社会学で100年以上続いていたりするわけです。Inter-disciplinaryやTrans-disciplinaryにおいて、そういう長い時間軸をめぐる継承をどう扱っていくのか。分野を横断していく行為、そこで起こっている現象自体は齋藤さんの例も僕たちの例も同じように見えるけれども、その背後にある時間軸が違うのではないかと思います。

川添 「非分野主義」と即時性はもしかしたらすごく近しいところにある考えかもしれないですね。

分野の間を漂うために必要な軸足の置きどころ

南後 齋藤さんが挙げられた「非分野主義」というのは、別にひとつのディシプリンに対する深度はそれほど求められていないように思うんです。けれど、大学の研究として、Inter-disciplinaryやTrans-disciplinaryを実践するには、複数のディシプリンにそれぞれ深くコミットし、掘り下げていくことが求められるのではないでしょうか。

齋藤 僕の考える「非分野主義」には、コンパスのように自分の軸が必要です。僕の場合、軸はもともと建築で、そこから他に行って、建築の100%の濃度をどんどん落としていく代わりに、ロボットも好きだし、表現も好きだし、アートも好きだしと、いろいろなことをやっているのかなと思っています。
 欧米で実践されている、分野を決めないでどの学科でもいいから5年で勉強して卒業しなさいという仕組みで路頭に迷う人はいます。結局すごくいろんな知識があるけれども、実践的な知識がないこともある。そこが取り違えたら危険な点です。一方、MITメディアラボモデルが成功しているのは、何を作りたいというビジョンが明確にあって、そのために必要な知識やチームのメンバーや組み方を考えるからです。

南後 何か解決しなければならない問題が発生したときに、様々な分野を選択して集めるのは少しメタな視点ですよね。複数の分野の関係性自体を相対的に見るというスタンスが、MITメディアラボの特徴なのでしょう。
 従来型の発想は、社会学なら社会学の輪郭や専門分野から別の分野に出ていく感覚だと思います。一方で、僕たちの世代は、齋藤さんの言う「非分野主義」にも近いかもしれない。円の内から外へ出ていくというよりも、円そのものの輪郭は明確ではなくて、こっちは人類学、あっちにメディア論、別のところには地理学みたいな、円と円の狭間で動き続ける中にいて、その都度ぶちあたった領域として、ある輪郭が見えてくる。内から外ではなく、何かと何かの間で動き続けるというイメージですね。
 ただ、出発地点として何らかの専門性がないのも厳しいです。僕自身、建築の人とか、他の分野の人と話す際、自分の専門性とは何かと問われると、「社会学を取り戻す」ことを考えます。その傾向は、20代より30代になってからの方が強く、大学で教え始めてからより強まったかもしれません。「GDZ(合同ゼミ)」を、川添さんや他の同世代の建築系の大学教員の研究室と一緒にやっていますが、そういう場では、より社会学者としてのアイデンティティに向き合うことになり、相対化に晒される機会が多い。そのなかで、自分の専門性としての軸をより深化させるということもやりつつ、でも同じ場所へ回帰するだけでもなく、前や外に踏み出していく。その両方をやっていくわけです。

ギモンを因数分解する力をつける

質問者A 学部3年で、建築や都市工学を勉強しています。軸を置くというお話で、軸となるものが、工学だったり、形になるものだとわかりやすいのですが、それが言論であったり、あるいは人文科学や社会科学だったりする場合の軸はどうお考えでしょうか。また、建築において形にならない思想がどういう役割を果たすとお考えでしょうか。

齋藤 〇〇学科といった分類に囚われているのは大学時代だけで、社会に出るとあまり関係ありません。要は、自分が持っている武器は何かしか周囲に求められていない。何を作りたいのか、社会を変えたいのか、もしくは椅子のデザインを変えたいのか、すごく難しいんですけど、具体的なものをひとつ持てるのであれば、近道が見つかると思います。あとは、世の中をこうしていきたい、というイメージができたときは、それを自分の中でちゃんと因数分解するところまでやらないといけない。僕が一番尊敬できる人は、ミクロとマクロの行き来が自由にスピードを変えてできる人です。「千里の道も一歩から」と言うじゃないですか。昔、万里の長城のブロックを積んでいたおじさんが、「俺は昔万里の長城を作っていた」と言えば、すごい人だったなと思うわけですよ(笑)。ミクロとマクロの行き来を自由にするのは何かと言えば、たくさんの知識と、人とのコミュニケーション能力です。
 例えば、僕は今、渋谷のど真ん中にあるとある公園の仕事をやっています。色んな意味ですごく難しいところですが、本当に不自由な公園が多いので、本当の公の園を作りたいと考えています。それで、ちゃんと安全安心が守られた状態で遊べて、しかも文化がそこから発達するような場所というのはどういう場所かを想像していて最終的に行き着いたのは、「運営」でした。場所のデザインではなくて。「どういう運営をデザインするのか」、「ガードマンをどうデザインするか」が重要になってくるわけです。たとえば、日本のガードマンは、規律がしっかりとマニュアル化され、「この線から出たら怒れ」って言われるわけです。でも、アメリカとかのガードマンって、珈琲を飲んだり、サンドイッチを食べたりしながらたむろしているような、よくあるイメージそのままです。だから、「犬は禁止」って書いてある場所で犬が走りまわっていてもおかまいなし、皆ハッピーです。僕が最終的に行き着いたのがそこでした。
 何が言いたいかというと、デザインをするとき、僕は「場所をこの雰囲気にするには何が必要か」を考えて因数分解し、結果として「ポールとポールを結ぶ素材はゴムがいいな」と行き着くのです。そこまでデザインができる訓練をするといいのかなと思います。
 僕は哲学の本を読むと、すぐ眠くなってしまうんですね。なぜかと考えたら、哲学からデザインは生まれないからだと気づきました。いくらダイアグラムを書いても、実際に家を建てるのにはそれほど役に立たない。いざ家を作るとなれば、壊れないヒンジがいいし、掃除が楽な方がいいし、色の好みだってある。つまり、哲学と実務には、大きな乖離があるんです。ただ、実務をやっていると迷うことが絶対にある。そういうときに戻れる磁場や羅針盤になるものが必要です。それが哲学や思想なんじゃないかな。アーキグラムやスーパースタジオの思想もそうです。あれを知ったときの感動やわくわくした気持ちを僕は作れているかといつも考えます。

南後 研究でも、学際や異分野越境それ自体が目的ではないんですね。切実な問いがあれば、おのずとひとつの分野からのアプローチでは解決できないことがあり、異分野のことにも触れざるを得ないことが多々あります。つまり、先に学際や異分野越境ありきではなく、問いや問いの立て方が重要になるのではないかということです。
 次に、哲学と建築のことについて言うと、例えば80年代のポストモダンの時期に、フランスの現代思想を参照しながら建築の設計をするという時代がありました。もちろん、哲学と建築の関係、言葉と建築の関係は根深くて、言葉の構築と建築という営みの関係性をめぐる議論の蓄積もあるわけですが、重要なのは、形態や様式などの建築についての知ではなくて、「知の形態としての建築」という視点ではないでしょうか。
 今日の議論で印象に残ったことは、建築の固有性が、「重ね合わせ」によって生じるということです。言葉や概念と、実際の利用や体験や運営の狭間で考える必要があるのだと改めて思いました。

「建築家」らしさはどこにある?

質問者B 「ハック」は、そもそも既存のものが対象にあると思います。しかし、たとえば更地に何か新築するとなったときに、齋藤さんはどうされるのでしょうか。

齋藤 そもそも対象が更地だということは往々にしてあるでしょうね。僕は、業界的にはビジネスが下手だと思います。あるプロダクトの20周年を記念してデザインをリニューアルしようという話があっても、僕のデザインは「このままいきましょう。それでどれだけ良い未来が見えるか考えましょう」と言ってしまいます。つまり、僕の視点では、対象が世の中にどうあるべきかを判断するとき、良くも悪くも経済性がちょっと欠落しているんだと思います。
 僕はライゾマでは建築部門と言いつつ、肩書をアーキテクトとしていないのは、建築設計にはあまりコミットしたくないからです。理由は、ビジネス的に非常にフラジャイルだということと、世の中にたくさんいるプロと組んだ方が絶対いいと思っているからです。それこそ「+(プラス)」の考え方です。なので、もし建物を更地から建てることになって、建築家が必要だと考えたら建築家に全部お願いする。僕がやるべきは、最終的にそこに運営が必要であれば、運営の仕事を提供するし、テナントが入るのなら、対グローバルでビジネスができるようにEC siteも一緒に作るみたいなことを提案するとか。建物じゃないところを構築するのが仕事というか、興味のあることです。
 ライゾマは「コレクティブ」だとよく言うんですが、要はレコード・レーベルみたいなものです。いろんなスキルを持っている人がいて、そのなかから、必要なときに必要な人員を集めて、プロジェクトを進めます。この前、いろんなアーティストが住むアパートを作るプロジェクトをやりました。僕たちが設計したのは、そこに住む人の行動データをずっと採っておく『レックスルー・アパート』という、非常に危ないアパートです(笑)。そのプロジェクトは、「絶対やりたい!」と言っていたプログラマーに任せました。ライゾマはよくも悪くも偏っていなくて、いろんなものがあって、いろんな思想を持ったやつらがいます。そこで、なんか変なミスマッチが起こることを期待しているんです。

川添 最初の方で、竣工写真に人がいない状況が気持ち悪いと話していましたが、最近の建築は写真にわざと人を入れて撮ることも多いです。僕の考えでは、その理由のひとつに狭小住宅があると思っています。昔は建築家が建築を作るときは、敷地にも余裕があって、U字型だとか形態でいろいろ試せたのですが、最近のものは土地が極端に狭小なので、もはや形態はいじれません。それで、どうやって差異が図られるかというと、使われ方とか、どういう状況が生まれているかとかなんですね。この状況と連動しているのが無印良品で、シェルターには期待しないで、好みのものを置いた自分なりの暮らしのアレンジをアピールしています。建築家による住宅が、そこまで追い詰められてきているわけです。あとは、昨今のリノベーションや改修ブームとも関連していますね。改修も外形の操作はできないから、材料をどうするかとか、古いものと新しいものとの関係作りに建築家の職能が期待される。
 形態とか色彩に建築家らしさが表れる時代があった一方で、今の建築に物足りなさを持っている人達も少なからずいます。その状況を建築家はどう突き抜けていくのかが、まさに今日的な課題です。齋藤さんがやっていることは今の建築家が抱えている問題そのものなので、無意識にシンクロしている感じが面白いと思って聞いていました。

齋藤 僕が企画した「建築家にならなかった建築家たち」という展示には、思いのほか多くの建築家が来てくれました。僕のイメージでは、建築家の世界って、引いても押しても開かないような強固なドアのようなものでした。けれど、来てくれた建築家に聞いたところ「建築家がわかる範囲内では解決できない問題があったとして、でも、別の専門の人にお願いすれば解決するものでもない場合、建築がわかったうえでの非分野主義として、メディアの表現もできる人が欲しい」と言っていて、なるほどと思いました。建築家のドアは想像よりも開いている、というか全開ですよね(笑)。それに気づいてからは、同じ研究なりプロジェクトをもっと一緒にやれば次にいけそうな気がすると考えています。視点がまったく違うからぶつかるだろうけど、それを乗り越えればめちゃめちゃ面白いものができるはずです。

質問者B 確かにそうですね。建築家がトップになる時代がなくなってくるのではないかという話をよくしています。

齋藤 人がどう滞留して、そこに経済や文化がどう生まれるか、これまで建築家が決めていた領域を、社会が建築家に頼らなくなったんです。角部屋は経済効果が高くてリターンですぐに回収できるとかね。そのような合理性と文化的価値を付けるときに、建築家はいらない。ある案件が「120億投資するから25年後に回収したい」となったら、まず呼ばれるのはマーケティングやディベロッパー、あとは飛び道具的な僕らの事務所みたいなところです。そのような異なる視点をもつ人たちが議論をして、最終的に「自然を使えるような提案を3人くらいに描かせようよ」となって、建築家が参加するコンペを実施することになるんです。
 僕はやはり建築が好きだし、建築には“木の根”として成り立っていてほしい。だから、建築家が、社会を含めた提案をできて、きちんと尊敬されるべき立場を、僕らやディベロッパーが作っていかないと、建築文化が大きく曲がってしまいそうな気がしています。

「場所」にいる「人」を観察する

質問者C ライゾマティクスが手掛けられたKDDIのCMや、国立競技場のカール・ルイスなどは、都市に新しいイメージを付加する、あるいは忘れられていた歴史を振り返らせる意味があると思って見ていました。新しい技術を使いながらそこにあるイメージを付けていくとき、場所はどうやって選んでいるのか、が気になりました。私自身、メディアによる都市のイメージ形成を研究しているので、技術をフィールドに落とし込むときのフィールドの選び方についてもう少しお聞きしたいです。

齋藤 僕は普段から、毎日かなり移動していて、たくさんの小さいことに気づきます。この看板は、なぜずっとここにあるんだろうとか、不認可のポスターを誰も剥がさないのはなぜかとか。僕がKDDIのプロジェクトで渋谷を選んだ理由のひとつに、広告的に考えて、消費者層の構造が変わってきたことがあります。昔はいわゆる三角形の頂点にオピニオンリーダーがいて、フォロワーがいて、一番下にマスがいるモデルだったから、一番上の人たちにアクセスして、どれだけ下に落としていけるかをやっていたわけです。けれども、auのCMをつくったあたりから、僕はトライブと呼んでいますが、三角形がひとつではなく、テクノロジーが好きなトライブ、アイドルが好きなオタクトライブ、ポケモンが好きなトライブ、EXILEが好きなトライブといったように、趣味趣向によって属性が変わっていることがはっきりしてきて、全員に向けて同時に話をするのは無理だと思ったんです。さらにいえば、そのトライブから場所を判断しているんです。渋谷だったら、チーマーがいた頃から変わらず影がある。渋谷区的には排除したい所だけど、そこから文化が発達したり、実は色んな話しができたりするという特徴がある。それから、先ほどの話を聞いて気づいたのは、自分は「人をすごく見ている」ということ。渋谷を選ぶ理由も、新橋を選ぶ理由も、そこにいる人なんだと思います。

「重ねる」ことで、建築を構築する

南後 今日は「見えないレイヤー」というキーワードが重要かと思いました。チュミの時代には、ラ・ヴィレット公園などにおいて、空間と機能、あるいは形態とプログラミングの間のギャップ、ズレから何が起こるかということに関心が置かれていました。先ほど、齋藤さんはミスマッチから次の何かが起こると話されていましたけど、ミスマッチをそのまま肯定するだけではなくて、次のフェーズとして統合のモメントを重視されている。その点が、チュミの時代と違うなと思います。
 チュミの時代も「見えないレイヤー」として、空間と身体の多様な関係性を考えていました。けれど、その思考がどうしてもフォリーという形で固定され、フリーズしてしまっていたと思います。それで、今日見せてもらった「border」という作品で印象的だったのは、「見えないフォリー」とでも言えば良いのか、「見えないレイヤー」を形づくる非固定的で動的なフレームが、その都度インタラクティブに立ち現れていたことです。
 僕の研究関心のひとつに、シチュアシオニストの思想が、チュミやレム・コールハースの世代にどう影響を与えたかというテーマがあります。チュミやコールハース世代の建築論にとどまっていたのですが、チュミを経由した齋藤さんの仕事のような現代の文脈へと接続していく回路があることに気づきました。いつかこれまでの研究の延長線上で、ライゾマ論を書いてみたいですね。

川添 「建築的思考」とは何なのかをテーマに続けているこの企画ですが、今日も、単位や広さの話、抽象的に見ること、円の外に自分を投げ出すことの可能性を話してしていただきました。特に面白かったのは、千里の道も一歩からという話です。千里のことも、一歩のことも、両方を同時に見る力が大事だという話です。
 この企画は、僕たちが話を聞きたい人に来てもらって、話をしてもらうシンプルなものです。南後さんはこれからの社会学を作っていく人として悩まれているし、やはり僕も、新しい建築論を作る悩みがあるから、こういうことをやっているわけです。その意味でも、今日の「広げる」と「重ねる」の違いについての話は印象的でした。建築においては、シカゴの大火事からの復興の過程で、当時安かった鉄骨という材料、エレベーターの発明、空調の開発という条件が重なり、高層ビルという新しい建築の形式が生まれたように、建築技術ではなかったエレベーターや空調技術が建築に統合されて「すべてのものが建築である」と言うまでに領域を広げてきました。だから、僕自身のアプローチもその領域を広げることにあるとなんとなく無意識的に思っていたし、新しい建築を考えるっていうのは、そもそもそういうことだと思い込んでいたんです。でも、今日お話を聞いていて「重ねる」というスタンスはすごく面白いと感じました。もちろん、僕は情報の専門家ではないから同じようなことできない。けれど、違うものをそこに重ねるというスタンスは、なにか次の時代を作れる可能性がある。それを知れたことがとてもうれしかったです。

齋藤 ありがとうございます。僕も素晴らしいコメントを頂き、光栄です。僕が今やっていることの正解はわかりませんが、建築出身であることは本当にラッキーだと思っています。
 僕は、卒業して18年くらい経ってからようやく建築の素晴らしさに気づきました。昔は嫉妬もしていたけれど、今はちゃんと迎えに行こうというフェーズでやろうと考えています。だからこそ、建築をやりたい人はその勉強をガシガシやってもらいたいし、勇気をもっていろいろなことに挑戦してもらいたい。それは、建築以外の人にも同様です。広告の世界では、今までの広告モデルが崩壊してきています。崩壊というか変化。娯楽としてのテレビという、何万人もの人たちが同時に見ていたものがオンデマンドに見移り変わり、変化せざるを得なくなったんです。会議中に「ここで8時間もブレストするより、新橋でティッシュを配った方がたくさんの人に伝わるから行くぞ」と言って、よく止められるんですけど(笑)、要は楽していられる時代は終わったんですよね。「有名人がこの商品を使っている」CMを全国の一億人以上の人々に届けたら多くの人が買ってくれる時代は終了しました。
 それよりも、最終的にもっと人の気持ちに触れる、もしくは温度で感じられることとして、まちづくりとか施設の構想とかを始めています。だから、建築、もしくは施設、都市とか街といったものが今まで以上に重要になっていくし、どんどん再構築されていくでしょう。他の業界から見れば、僕らなんかは流行ばかり追っているハイエナみたいな仕事をする人間だと思うんですけど(笑)、そういう人間が今こういう場にいること自体、すでに何かが起きている証拠だと思います。あらゆる視点から、都市とか建物とか施設を見れば、世界は今よりずっと良いものになっていくはずです。そのためにも、皆さんそれぞれプロフェッショナルの軸と思想をもって行動をしていってもらえたらいいなと思います。僕も頑張りますので、皆さんも頑張ってください。

REVIEW

第3回「情報へ」レビュー

統合のための建築的思考 - プロトコルを実装せよ

浜田晶則

建築はそれ自体重く、つくるプロセスには時間がかかり、完成した後は容易に動かすことはできない。大きな特徴でもあるが、それを乗り越えるような試みはこれまでの歴史上多くなされてきた。齋藤氏が例に挙げたアーキグラムはそのわかりやすい事例であるだろう。ken-tic第3回の「情報へ」というテーマは、物質から非物質へ向かう情報社会の特徴でもあり、我々が考察する必要のある重要なテーマの一つである。物質を統合的に扱う専門家としての建築家は、現代において様々な情報=データを統合的に扱うことが求められるだろう。それは従来の建築家像とは異なるものであるかもしれないし、建築家という肩書きの存在意義すらも問われているのかもしれない。

ベルナール・チュミからライゾマティクスへ

齋藤氏が修了したコロンビア大学大学院GSAPPでは、当時ベルナール・チュミが学部長だった。そこでチュミの影響を多分に受けたという。チュミといえば「マンハッタントランスクリプト」や「ラ・ヴィレット公園」が有名であるが、そこでテーマとなっているのは「出来事」や「動き」である。彫刻としての建築ではなく、イベントや動きのベクトルを扱うものとして建築を定義したのである。(『建築と断絶』ベルナール チュミ 山形 浩生訳)

GSAPPで齋藤氏はコンピューテーショナルデザイン、アルゴリズム、変形学などを学び、研究としてデヴィッド・リンチ監督の映画『ロスト・ハイウェイ』からドッペルゲンガーの二面性について分析した。また、都築響一氏の写真展では、天井が溶けて首に巻きつき写真を見ることができるというイメージの、流動的な形態の空間を設計した。

「僕の考える建築は建築の領域をはみ出していた。建築は想像より遅かった」
と当時を振り返る。映画という出来事や動的なイメージを空間化する試みから、より自由で即時性の高い状況をつくろうとし、その後日本に戻りアートや広告の領域に踏み出していく。

そして2006年にライゾマティクスを設立した。『千のプラトー』(ジル・ドゥルーズ, フェリックス・ガタリ)のリゾーム(地下茎)という概念に影響を受け、それを社名とした。一本の木のように、固定的で垂直的な構造ではなく、リゾームのように動的で水平的に広がっていくイメージである。それは齋藤氏が掲げる「非分野主義 / Anti-Disciplinary」というテーマにもつながっている。

Art and Commercial

芸術家という職があるが、実際アートを生業にすることは難しい。特に日本においてはアートを購入するという行為はとても特別なことのように思う。しかしアートマーケットにおいてはアーティストの作品が若い当時の価格よりも数倍、数十倍に高騰する例がある。ニューヨークなどでは投資のように気軽に捉えられていることもあり、またアートを購入するということが文化になっている(『“お金”から見る現代アート』小山富美夫)。
ライゾマティクスはグループで立ち上げた企業であり、アートをやりながらお金を稼ぐことも重要だった。業界に入ってこなかったアイデアを学術的かつ先端的な技術などをエンターテイメントにも入れていくことで、実験的な試みとマーケットのニーズの両方を達成することをめざしたのである。

Research / Design / Architecture

現在ライゾマティクスには3つのドメインがあるという。1つ目はResearch。オリンピック招致の映像でフェンシングの軌跡を可視化するシーンでは、リアルな物や動きの上にCGを重ねることで、目に追えない速さの軌跡がよりダイナミックに表現された。さらにリアルタイムに映像に重ね合わせることで、観戦する体験が拡張されることを予期させられる。

2つ目はDesign。開発した「JINS MEME」(https://jins-meme.com/ja/)は、メガネに3点式眼電位センサー・加速度センサー・ジャイロセンサーの3つのセンサーを埋め込んだウェアラブルデバイスである。ライフログ、ランニングの体位の情報など、対応アプリによって様々な情報を分析し視覚化することができる。既存のメガネにセンサーと知能を埋め込むことによって、日常の自らのふるまいを客観的なデータによって評価することができる。

3つ目はArchitecture。auのCMの「FULL CONTROL TOKYO」では都市をハックし、人々が制御可能なものにしたイメージを描いた。「かつてアーキグラムらが描いた都市のビジョンを現代のテクノロジーによって実現していきたい」と齋藤氏が述べたように、情報技術によって今後それらのビジョンは都市に実装されていくだろう。

HACKという思想

様々な分野が情報技術を扱う人々や企業の台頭によって置き換えられてきている。例えば電話(インターネット回線を用いたアプリによる電話)、音楽(iTunes、Apple Music)、放送局(ニコニコ動画)、車(Tesla Motors)、そして建築や都市もGoogleなどの情報を扱う専門職に一部置き換えられていくかもしれない。これは旧来の近代を築いてきたハードウェア産業が、ソフトウェアからのアプローチによって転換しようとしているのである。

もし新築プロジェクトをつくるときにどのようななものを拠り所にしてビジョンを描くかという質問に対して、それでも既存に対してアプローチする方法を選択すると齋藤氏は述べた。南後氏が指摘したように、それはアーティストであるバンクシー(http://banksy.co.uk/)のグラフィティにも見られる編集的な手法であるだろう。このような判断は旧来型の建築家には難しいように思う。つまり、建設それ自体が目的にはならないことで、現況に適応するコンテンツをよりうまく生産できるのかもしれない。

Network Protocol

「今の時代に必要なのはプロトコル。同じジャックを持っていよう」
プロトコルを統一することではなく、多種のプロトコルを持つ重要性について齋藤氏は述べた。専門分化が進む中で、それらを統合するゼネラリストが求められる能力はより高くなる。現在進んでいる案件の一例では、建物のように巨大なロボットを動かすプロジェクトチームに建築家がアサインされていないという事実に驚いたという。かつて様々な専門家のネットワークを構築する職能として、建築家の存在は大きかった。しかし現在、その職能をライゾマティクスのような情報を扱うことができる専門家が担いつつあるのである。

現代において情報と建築を架橋していくことは、様々な分野を架橋していくことに他ならない。専門家同士のネットワークを構築することも必要であるし、ユーザーである人々のネットワークを構築することも重要である。

「集団をつなぐことができないか。warm tech。テクノロジーも温度をもつべきだ」
人々がコミュニケーションできる都市(建築)をつくること。個でも楽しいし、集団でも楽しい都市(建築)をつくること。そのビジョンは全ての作品から伝わってきた。

建築家は現代のプロトコルを実装できるか。

執筆者プロフィール
浜田晶則
Aki Hamada

1984年富山県生まれ。AHA 浜田晶則建築設計事務所代表。teamLab Architects partner。日本大学非常勤講師。東京大学大学院修士課程修了。主な作品『Barcode Room(2012)』、『midi a midi(2014)』、『Floating Flower Garden(2015)』
http://aki-hamada.com/